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2021/04/29 18:51

尾鷲市




尾鷲市は三重県南部、東紀州地域の中央に位置し、太平洋(熊野灘)を臨んでいます。


 温暖多雨な気候と黒潮によって、古くからその自然の恵みを受け、林業、漁業が栄えてきました。人口は18000人程度。総面積の90%が山林に覆われており、沿岸部にはリアス海岸が形成されています。そのため、市街地面積は非常に小さく、海と山が接しているという、非常に美しい景観が特徴的です。
また、峠によって隔たられた浦々が9つ存在し、各々に天然の良港が形成されてきました。各浦々によって、独自の文化が形成されており、現在でもその文化が受け継がれています。この小さな漁村たちに、多くの観光客や地域おこし協力隊、様々な企業が注目を寄せています。


いにしえより「熊野詣で」「伊勢詣で」などで旅人が往来した熊野古道は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、国内外問わず、多くの方々が訪れています。



林業



江戸時代より、尾鷲ヒノキを用いた林業が栄えてきました。


尾鷲の山は、急峻な地形と痩せた土地という厳しい条件下にあります。そこに10000/haという膨大な数のヒノキを植え、負荷をかけることで、
年輪が緻密で鮮やかな赤みがあり、強靭な良質材になります。


平成293月には、三重県尾鷲市・紀北町の地域が「急峻な地形と日本有数の多雨が生み出す尾鷲ヒノキ林業」として日本農業遺産に認定されました。また、平成15年にはFSC(森林管理協議会)の森林認証を取得、昨今世界で取り入れられているSDGsの観点においても注目を集めています。





尾鷲市は昔から漁師町として栄えました。

漁業が衰退した今でも、港の近くには魚屋やその加工場が多数見られます。港の魚市場では、とれたての魚が競りに出されており、魚屋やスーパー、飲食店には季節ごとの旬の魚が並びます。一般の家庭でも、毎日の食卓に魚が並ぶ光景は珍しくありません。

また、近年では、中学生が魚をさばく体験をする授業が行われているほど、尾鷲の人と魚は密接に関わり合っているのです。



ヤーヤ祭り



毎年2月1日~5日まで行われる尾鷲神社の例大祭。


名前の起源は、武士が名乗りをあげる
「ヤーヤー我こそは」からきているとされ、約350年前の神事と祭事をほとんど変えることなく受け継いでいます。

この祭りが「天下の奇祭」と呼ばれる所以の一つは「練り」にあります。練りとは宵宮(よんみゃ)とも呼ばれ、20町の若者が「チョウサじゃ」の掛け声とともに激しくぶつかり、練り合います(写真)。各町の提灯を掲げて練り合う姿は壮観です。

奇祭たる2つ目の要因は垢離掻き(こりかき)。祭り期間中、各神事・祭事の前に身体を清めるため、男たちが裸で海に飛び込みます。毎年、市内外問わず多くの方がその姿を見に訪れます。ヤーヤ祭りは尾鷲の人々の魂のようなお祭りなのです。
 


このように、豊かな山と海に囲まれ、小さな町が私たちの住む、三重県尾鷲市です。